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Saturday, January 15, 2022

死によるいのち

カールのがんの治療には両肺の移植が必要でした。彼は新しい肺をくださいと祈りながら、違和感がありました。なぜなら、自分が生きるためには、誰かが死ななくてはならないからです。

カールのジレンマは、死がいのちをもたらすという聖書の基本的な真理を浮き彫りにします。出エジプト記によれば、当時イスラエルはエジプトの奴隷として生まれ、搾取されていました。パロは自らに災難が及ばなければ抑圧の手を緩めません。そこで神は、健康な子羊をほふり、その血を二本の門柱につけなければ、その家の長男は死ぬと言われました(出12:6-7、12-13)。

今日、私たちも、罪のくびきにつながれて生まれました。神が罪のない御子を十字架につけて血を流させるまで、サタンは抑圧の手を緩めませんでした。その十字架に主とともにいる自分を見つめましょう。パウロは「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」と述べました(ガラ2:20)。傷のない小羊を信仰するなら、それはイエスとともに日々死ぬこと、すなわち、罪に死んで、キリストとともに新たないのちによみがえることです(ロマ6:4-5)。罪に否と言い、イエスの解放に然りと言うなら、私たちは死からいのちに移っています。


from デイリーブレッド