Monday, October 7, 2019

偽善者に対する神の心

南アフリカのクリケットの選手が、2016年の試合で不正をしたとき、別の選手は「僕のチームの誰かがそんなことをしたら失望する」と言いました。しかし、わずか2年後、当の選手が、同じようなスキャンダルを暴かれました。

偽善ほど腹立たしいものはありません。創世記38章は、偽善によって致命的な結末を迎えたかもしれないユダの物語です。タマルと結婚した長男が死に、再婚相手にした次男も死ぬと、ユダは嫁に対する責任を放棄しました(8-11節)。切羽詰まったタマルは、遊女のベールで変装して待ち構え、ユダは彼女と関係を持ちました(15-16節)。

未亡人の義理の娘が妊娠したと知ると、ユダは「あの女を引き出して、焼き殺せ」と残忍に命じました(24節)。しかしタマルは、ユダが子どもの父親だという証拠を持っていました(25節)。

ユダは事実を否定することもできましたが、自分の偽善を認め「あの女は私よりも正しい」(26節)と言って、彼女に対する責任を果たしました。

神は、ユダとタマルの思い出したくない過去を、私たちの贖いの物語に織り込まれました。タマルの子どもたちは(29-30節)、この世でのイエスの祖先となったのです(マタ1:2-3)。

創世記38章の物語が、なぜ聖書にあるのでしょう。ひとつの理由は、それが人間の偽善的な心、そして、神の慈しみの心の物語だからでしょう。


from デイリーブレッド